日本の音楽アーティスト(歴代)

日本の偉大な音楽アーティスト(歴代)

日本の偉大な音楽アーティストの歴代ランキング。歴史に残る歌手、グループ、ミュージシャン、バンド、シンガー・ソングライター、アイドル。男性と女性。ジャンルは邦楽、JPop、歌謡曲、演歌など。20世紀の戦前・戦後と21世紀。明治、大正、昭和、平成、令和。編集部が独断で選びました。

1位~10位
順位 アーティスト 略歴、解説など
サザンオールスターズ 桑田佳祐を中心に、青山学院大学の音楽サークルから生まれたバンド。 1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューした。 当初は6人組。

日本語から柔軟なビートを引き出す桑田の傑出した歌。 「いとしのエリー」に代表されるメロディアスな曲で注目された。 1980年代半ばには名実ともに日本を代表するバンドとなった。

アルバム制作でも、1985年の「KAMAKURA」や1992年の「世に万葉の花の咲くなり」など、他の追随を許さない充実した作品を生み続けた。 桑田のソロ活動も素晴らしい。
美空ひばり 横浜の魚屋「魚増」の長女として生まれレコード好きがこうじて歌手志望したが、大手のレコード会社にことごとくふられ、NHKの「のど自慢」にも落ちたが「天才少女歌手」の名をほしいままにしたデビュー前。「ひばり」の芸名になって初舞台の東京・日劇で、得意としていた笠置シズ子(故人)のヘイヘイブギ」を、笠置本人から「私の歌を歌わないで」と言われたエピソード。さらにレコード・デビューの「河童ブギウギ」にもクレームがつく不運。

しかし、子供ながら大人顔負けの歌唱をする少女は、続く「悲しき口笛」で、一気にファンの注目を集めた。このあとは、スター街道を急上昇。「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「ひばりのマドロスさん」「港町十三番地」「花笠道中」「哀愁波止場」と立て続けにヒット。一時は1年間に14枚のシングルを出し、それを全部ヒットさせるモンスター的な歌手になった。

1965年(昭和40年)には「柔」で第7回日本レコード大賞、翌年に出した「悲しい酒」は、いまでもロングセラーの名曲といわれている。

特別な音楽教育を受けなかったにもかかわらず、ひばりのリズム感、広い音域、絶妙の節回し、さらに音色の豊かさは、この女性を史上最長寿の第一線歌手にした。

好き嫌いはあれ、彼女の歌唱の確かさは、ジャンルを超えていた。1967年(昭和42年)の「真っ赤な太陽」では演歌の域を離れ、また岡林信康、小椋佳などのフォーク、ニューミュージック、さらにはジャズでも“三人娘”(雪村いずみ、江利チエミ)に匹敵する歌唱力を見せた。武道館公演で歌った谷村新司の「昂」は、今でも語り草になっているほど。
藤山一郎 戦前、戦後を通じ、日本の音楽史に残るヒット曲を歌った。 「影を慕いて」「青い山脈」「長崎の鐘」などが有名。 お手本のようなはっきりした発声の歌唱で国民を魅了した。 曲の数々は、時代を越えて人々の心にとどまっている。 正確な歌唱と美声で「流行歌」といわれていた歌謡曲の音楽性を高めた。

「初めに言葉ありき」を持論に、日本語の響きやアクセントをひたすら大切にした歌声が特徴。 背筋を伸ばした姿勢の良さ、だれに対しても礼儀正しく接した律義さなどで知られた。 昭和の混乱期を乗り越えようとした日本の隅々にまでしみわたった。

1911年(明治44年)4月8日、東京・日本橋生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)声楽科に入学。 バリトンの声楽家を目指した。しかし、家業の呉服店が倒産。 借金返済のアルバイトのためにレコード会社のオーディションを受けた。

在学中の1931年、コロムビアから「酒は涙か溜息か」で名前を隠してデビュー。 「藤山一郎」は、学校で禁止されていたアルバイトがバレないように用意した芸名だった。 学校に知られて一時は停学になったこともあるが、古賀政男氏とのコンビで「影を慕いて」「青い背広で」などをヒットさせる。 「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディー」は蓄音機がまだ20万台の時代に30万枚を超える売り上げを記録した。1940年、いく夫人と結婚した。

戦時中、海軍軍属としてセレベス島へ渡る。1946年帰国。歌手として復帰し数々のヒット曲を飛ばした。 とりわけ、奈良光枝さんとのデュエット曲「青い山脈」は有名。今井正監督の映画(1949年)の主題歌として流行した。 また、被爆者への鎮魂歌として歌った「長崎の鐘」も記録的なヒットになった。

当時、歌謡曲の男性歌手では異例だったドイツ流の発声法を持ち込み、あくまで歌詞をはっきりと歌うという姿勢を最後まで崩さず、「唱歌的歌唱法」「歌の楷書(かいしょ)」との評も。 「夜の歌も必要だが、私は元気が出る朝の歌をつとめて歌っていたい」とも話していた。

1954年(昭和29年)には「今の流行歌には“パチンコ・ソング”が多い」と、レコード会社を離れてNHK嘱託に。 1972年、日本歌手協会会長に就任。1973年、紫綬褒章受章。1992年、歌手としては故美空ひばりさん(1989年)に続き2人目の国民栄誉賞を受賞した。 「NHK紅白」にも第1回から1992年の第43回まで歌手、指揮者としてフル出演した。

晩年は、地方自治体や会社の歌を200曲以上も作曲し、コーラス部の指導などにも尽くした。 NHKが全国調査に基づいて選んだ「昭和の歌・心に残るベスト200曲」で、「青い山脈」と「影を慕いて」が1、2位を占めたことも、輝かしい勲章となった。 1993年8月21日、82年の生涯を閉じた。
中島みゆき 時代を超えた「普遍性」の高い曲をつくり、歌う一流音楽家。

1952年2月23日生まれ、札幌市出身。シンガー・ソングライター。75年「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。同年の世界歌謡祭で「時代」がグランプリ。 1977年「わかれうた」、1981年「悪女」、1994年「空と君のあいだに/ファイト!」、1995年「旅人のうた」、2003年「地上の星/ヘッドライト・テールライト」と、1970年代、80年代、90年代、2000年代の4つの年代(デケイド)でシングルチャート1位に輝いた実績を持つ。小説、エッセー等の執筆や舞台「夜会」など幅広い活動を行っている。2009年、紫綬褒章を受章した。 2010年代には、「糸」はじめ代表作がカバーされ、ファン層をさらに広げた。

作詞・作曲家としても大活躍。他のアーティストへの楽曲の提供で多大な功績をあげた。 研ナオコが歌った「あばよ」(1976年)をはじめ、1970年代から2010年代まで5つの年代でシングル1位を獲得した。

毎年末の長期公演「夜会」はコンサートの概念を変えた。

平成から令和に元号が変わるとき、ラジオやテレビで一番流れた曲の一つが、「時代」だった。 1975年に生まれたこの曲は、40年以上の長きにわたり、その時代時代を生きる人の心の灯台となって、行きべき道を照らした。
松任谷由実 日本の「ポップスの女王」である。通称「ユーミン」。旧姓時代は荒井由実として活動していた。

1954年1月、東京・八王子生まれ。14歳のころから自作の曲を書き始め、高校3年のときに早くもプロお作曲家としてレコード会社と契約を結んだ。 多摩美術大学2年のときに、アルバム「ひこうき雲」でデビューした。 以来、傑作アルバムを次々と発表し、高い評価を受けた。 「ミスリム」(1974年)、「コバルト・アワー」(1975年)などが名盤アルバムとして有名。 シングル「守ってあげたい」なども大ヒット。

映像的な光景と、主人公の心情をうまく描いた歌詞が際立つ。 新しいポップ感覚にあふれたメロディも卓越している。 ロック的に洗練されたサウンドで、分厚いファン層を築いた。

アルバムの総売り上げは3000万枚を超える。

大仕掛けなステージのライブにも定評がある。
細野晴臣 伝説のロックバンドはっぴいえんどや世界的なブームを巻き起こしたテクノポップバンドYMOのメンバーとして知られる。

1947年、東京生まれ。69年にバンド「エイプリル・フール」でデビュー。翌年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂と「はっぴいえんど」を結成し、日本語ロックを確立。73年にソロ活動などを開始した。

1973年に出した初のソロ作「HOSONO HOUSE」は、特別な作品だ。優しい歌声、素朴な味わいで時代の空気を伝えて今なお愛されている。今月はリメイク盤が出た。名盤の魅力を、細野の話を通して解き明かしてみたい。

 細野は26歳だった。当時としては珍しく、埼玉県狭山市にあった自宅に機材を持ち込んで録音。キーボードの松任谷正隆、はっぴいえんどのギタリスト・鈴木茂らが参加した。このメンバーは「キャラメル・ママ」として雪村いづみ、荒井由実らの伴奏を手がけ、音楽界の屋台骨を支えていく。

78年に「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」を結成し、テクノ音楽で世界を席巻する。松田聖子などの楽曲も手がけ、音楽プロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO「散開」後はワールド・ミュージックやアンビエント・ミュージックを探求。2005年に本格的に歌手活動を再開、「万引き家族」の映画音楽など多岐にわたり活躍している。  
ピンク・レディー ピンクレディー
沢田研二 日本の音楽界で最高の「色男」である。 華麗だった。 艶(あで)やかさが男。 華やかさがあった。 危険をはらんだ毒性もあった。 少女たちは花を見た。 専門家やプロたちからも評価された。

1970年代から1980年代前半までの歌謡曲の全盛時代において、もっとも輝いていた歌手である。 「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」などのテレビ番組で、 鮮やかなパフォーマンスを披露した。

ポップな感覚。 切れ味のある歌いっぷり。 過激なパフォーマンス。 時代の最先端を走る。 音楽的充実度を誇った。

グループ・サウンズの「ザ・タイガーズ」に所属した。 グループ・サウンズのボーカルの中でも、群を抜いていた魅力を持っていた。 ロックバンドを経て、ソロ歌手になると、圧倒的な活躍を見せた。

1975年の「時の過ぎゆくままに」が大ヒット。
1977年の「勝手にしやがれ」でレコード大賞を受賞した。
「TOKIO」は、奇抜な衣装でパラシュートを背に歌った。

【略歴・プロフィール】1948年(昭和23年)6月25日、鳥取県生まれ。京都の高校を2年で中退、岸部一徳らとザ・タイガースを結成。1967年「僕のマリー」でデビュー。1971年に解散後ソロとなり、1973年「危険なふたり」が大ヒット。1977年「勝手にしやがれ」の大ヒットで日本レコード大賞を受賞。1975年に元ザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚、一男をもうけたが離婚。1989年(平成元年)に女優田中裕子と再婚した。2001年6月8日にシングル「あの日は雨」を発売。主演のミュージカル映画「カタクリ家の幸福」(三池崇史監督)が2002年1月に公開された。血液型A。
山口百恵 実働8年足らずながら、芸能界に大きな足跡を残したスーパースター。 もの憂げな雰囲気が特徴。 芸能界の権謀術数に翻弄されることなく、アイドルとしての役割を冷静に演じ切り、歌手として頂点に登りつめた。 俳優の三浦友和と結婚するため、わずか数年で電撃的に引退。鮮やかに自分の幸せをつかみ取って表舞台から去った。

代表作である「いい日旅立ち」や「秋桜(コスモス)」は、日本の歌謡界の歴史に残る名曲として愛され続けている。 2005年にNHKが紅白歌合戦で聴きたい曲の一般投票を行ったところ、紅組のトップ100曲の中に、山口百恵の歌は「プレイバック・パート2」「秋桜」「いい日旅立ち」の3曲が入った。

最初のメガヒットとなった「ひと夏の経験」は、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」というフレーズが話題となった。 本人は臆することなく歌い、のちに「歌と一緒に成長してきた」と振り返った。

1980年10月、東京・日本武道館で行われたラストコンサートでは、白いドレスで最後の曲『さよならの向う側』を歌ったシーンが有名。 このときデビュー以来初めて涙を見せ、「みなさんの心を裏切らないように、精いっぱい、さりげなく生きていきたいと思います。…幸せになります」と語った。 ファンに深く頭を下げ、白いマイクを舞台に置いた。 21歳。全盛期での例のない引退だった。
10 吉田拓郎 1970年代の日本のポピュラー音楽に大きな変革をもたらした。 シンガー・ソングライター(自作自演歌手)というスタイルの先駆者の一人となった。 「作詞作曲はプロの作家がするもので、歌手は歌うだけ」という古い構造を変えた。

大学在学中にバンドを結成。その後、フォークに移った。 1970年(昭和45年)6月に「イメージの詩」でデビューした。 エレック・レコードという小さなレコード会社との契約だった。 同年11月には初のアルバムアルバム「青春の詩」も出した。 翌年8月に岐阜県中津川市で開かれた「第3回全日本フォークジャンボリー」で、延々2時間にわたって「人間なんて」を歌う。新たなフォークソングの旗手として躍り出る。

一躍「フォークの神様」と呼ばれた。

1972年には「結婚しようよ」が大ヒット。お茶の間に名前が浸透した。 「旅の宿」もシングルチャート1位になった。 日本のフォークを背負って立つ存在になった。

「フォークを歌ってきたつもりはないし、自分は流行歌手だと思っている」と語っていた。

森進一に作品提供した「襟裳岬」はレコード大賞を受賞した。

徹夜ライブという伝説をつくってきた。1985年活動を停止したが、88年に再開した。

1996年、フジテレビ系の音楽バラエティー番組「LOVE LOVE あいしてる」の司会を務めた。 一緒に司会をするのは、人気アイドル、KinKi Kids(キンキキッズ)という異色の顔合わせ。 この番組のために吉田拓郎が作曲し、キンキキッズが歌った曲「全部だきしめて」が大ヒットした。

1946年4月5日生まれ。鹿児島県出。広島商大卒。妻・女優森下愛子
11位~20位
順位 アーティスト 略歴、解説など
11 森進一
はっぴぃえんど エイプリル・フールを母体に、1969年に結成。メンバーは、細野晴臣(b)、大瀧詠一(g)、鈴木茂(g)、松本隆(ds)の4人。1970年、URCから「はっぴいえんど」(通称ゆでめん)を発表。日本語の歌詞をバッファロー・スプリングフィールドなどアメリカのウエスト・コースト直系のサウンドに結び付けた。

“日本語のロック”の源流に位置するパイオニア的存在。バンドとしての成熟を示した1971年の名作「風街ろまん」、1973年のロス録音「HAPPY END」を残し解散。
13 B'z(ビーズ) 浜田麻里、TMN(TM NETWORK時代)など数多くのサポートをこなしてきた松本孝弘(g)が、ソロアルバム「THOUSAND WAVE」を発表後、稲葉浩志(vo)とB'zを結成。1988年9月に1stシングル「だからその手を離して」、1stアルバム「B'z」でデビュー。

以後、松本のよりハードに、かつ心にしみ入るギターと、稲葉の歌詞の斬新さとライブパフォーマンスで急速にファンを増やした。

1990年6月に発表の5thシングル「太陽のKomachi Angel」、1990年11月に発表した4thフルアルバム「RISKY」でチャート1位を記録したのち、次々と1位を獲得。ミュージックシーンの中央に大きな位置を占めることとなった。
14 井上陽水 福岡県出身。1969年アンドレ・カンドレの名前でデビュー、1972年に井上陽水に改名。シングル「人生が二度あれば」で再デビュー。

「夢の中へ」、「リバーサイドホテル」、「いっそセレナーデ」、「少年時代」、「Make-up Shadow」と確実にヒット曲を送り出し、中森明菜やPuffyなどへ詞を提供するほか、他アーティストとの交流の広さも数々の競演で知るところである。

音楽活動だけでなくマルチ・アーティストとしても独特の陽水流で楽しませてくれる。
15 ドリカム 1988年吉田美和(vo)、中村正人(g)、西川隆宏(kb)の3人により結成される。1989年にシングル「あなたに会いたくて」でデビュー。

3rdアルバム「WONDER 3」以降、全てがミリオン・セラーとなっている。

ハリウッド映画の主題歌を歌うなど、その活動は飛ぶ鳥も落とす勢いである。
16 北島三郎
17 RCサクセーション
18 ミスチル 1992年5月、ミニアルバム「EVERYTHING」でデビュー。新宿パワーステーションでのデビュー・ライブには媒体関係者が数多く押しかけ、業界内での注目度の高さを誇示。

シングル「Replay」「CROSSROAD」などCMソングやドラマ主題歌などを次々にヒットさせる。

1994年12月、「innocent world」が第36回日本レコード大賞を受賞。名実共にその名を轟かせる。

1996年最新アルバム「深海」をリリース。
19 坂本龍一
20 松田聖子
21位~30位
順位 アーティスト 略歴、解説など
21 氷川きよし
22 AKB48
23 五木ひろゆき
24 安室奈美恵
25 小田和正 1947年、神奈川県横浜市に生まれる。東北大学、早稲田大学大学院で建築学を専攻。在学中の1969年にオフコースを結成して音楽活動を開始する。

1989年、オフコースを解散。その後ソロとして1991年に発表したシングル「ラプストーリーは突然に」は270万枚の大ヒットとなった。

1992年2月には、初の映画作品“いつかどこかで”も公開されるなど、多彩な活動を続けている。
26 山下達郎 1953年生まれ。1975年“シュガー・ベイブ”として「DOWN TOWN」でデビュー。1976年、RVCより「CIRCUS TOWN」でソロ・デビュー。1980年シングル「RlDE ON TIME」が大ヒット。

1983年ムーン・レーベルに移籍、1989年、「クリスマス・イブ」が発表後6年半振り1位を記録。1991年「ARTISAN」で日本レコード大賞アルバム賞を獲得、1995年ムーン・レーベルの集大成「TREASURES」を発表し、ミリオン・セラーを記録。1996年シングル「DREAMING GIRL」を発表。
27 宇多田ヒカル
28 矢沢永吉 1949年広島県生まれ。1972年“キャロル”としてデビュー。「ルイジアナ」発売。

1975年、ソロ・デビュー・アルバム「I LOVE YOU, OK」、シングル「I LOVE YOU, OK」発売。

1978年、後楽園球場でコンサート開催。1981年、アルバム「YAZAWA」を全世界で発売。1988年、ワーナーから東芝EMIに移籍。1996年、横浜club HEAVENにて、新作「MA-RIA」を公開レコーディング。
29 小室哲哉
30 ザ・スパイダース


【参考】美空ひばりの主なレコード一覧

昭和
発売年 タイトル 作詞 作曲
1949年(24年) 河童ブギウギ 藤浦洸 浅井与華
悲しき口笛 藤浦洸 万城目正
1950年(25年) 東京キッド 藤浦洸 万城目正
越後獅子の唄 西条八十 万城目正
1951年(26年) 私は街の子 藤浦洸 上原げんと
ひばりの花売娘 藤浦洸 上原げんと
1952年(27年) リンゴ追分 小沢不二夫 米山正夫
お祭りマンボ 原六朗 原六朗
1954年(29年) ひばりのマドロスさん 石本美由起 上原げんと
1955年(30年) 娘船頭さん 西条八十 古賀政男
素敵なランデブー 原六朗 原六朗
1956年(31年) 波止場だよお父つぁん 西沢爽 船村徹
1957年(32年) 港町十三番地 石本美由起 上原げんと
1958年(33年) 花笠道中 米山正夫 米山正夫
1960年(35年) 哀愁波止場 石本美由起 船村徹
1961年(36年) 車屋さん 米山正夫 米山正夫
1962年(37年) ひばりの佐渡情話 西沢爽 船村徹
1963年(38年) 哀愁出船 菅野小穂子 遠藤実
1964年(39年) 関沢新一 古賀政男
1966年(41年) 悲しい酒 石本美由起 古賀政男
1967年(42年) 真赤な太陽 吉岡治 原信夫
1970年(45年) 人生一路 石本美由起 かとう哲也
1974年(49年) 一本の鉛筆 松山善三 佐藤勝
1975年(50年) 月の夜汽車 岡林信康 岡林信康
1980年(55年) おまえに惚れた たかたかし 徳久広司
1985年(60年) しのぶ 吉岡治 市川昭介
1986年(61年) 愛燦燦 小椋佳 小椋佳
1987年(62年) みだれ髪 星野哲郎 船村徹
平成
発売年 タイトル 作詞 作曲
1989年(元年) 川の流れのように 秋元康 見岳章